下で書いていた話と少し関連した話をしたくなったので。
下は作者としての話だったけれど、これは読者としての愚痴です。愚痴です。
以下、ただ単に創作スタンスへの愚痴なので合わないなと思った場合は読まないことを推奨します。
最近、二次創作を読む。それもいわゆる夢と言われるやつ。
といっても個人的には恋愛ものよりもそれにいかない程度のものが好きなので、そういうものを探そうとしている。
また、登場人物の心情を深堀りして、悩んだり諦めたり、手を伸ばしたりする心を刺すような話が好きなのでそういうものがあるととても嬉しい。
が、当然ことながら好みのものを探し出すのは困難である。砂漠の砂の中から一粒の砂金を探すようなもの、とまでは言わないけれど、自分の好み100%のものを見つけることは稀である。
もちろん読まないことには自分の好みに合っているか知ることはできないので、まずは読んでみたりする。
で、当然のごとく合わないものがある。その中で特に後から毒のように効いてくるものもある。いわゆる解釈違い、あるいは地雷(こういう言い方はどうなんだ…とは思うが)というやつだ。
それらを簡単に一言言うと以下だ。
- キャラクターが主人公を理不尽に害する
これは殴ったり、暴言を吐いたり以外にも、いわゆるヤンデレ系の相手の人格を無視した行動も含む。ただ単に主人公がひどい目に合う話から、いわゆる「嫌われ系」で最終的に和解などをすることもある。
これは旬の二次創作を見ると体感で80%以上はこれな気がする。(自分が読んだ中でという話。結構長めの話(1話1万~のシリーズ)を好むので、そういうの)(ただ人気のものの中でこういうものが占める割合が高いだけかもしれないが)
私は読者として主人公の視点で読んでいるので、理不尽なことをされると怒りを覚える。そしてその怒りはキャラクターとそれを書いた作者へ向く。そしてそう描かれただけで原作ではそんなことをしていないキャラクターに怒りを覚えてしまったことに罪悪感を持つ。それが繰り返されると、悲しいことにそのキャラクターが嫌いになる。
なぜこういう創作が作られるのか。
二次創作をするならば原作をリスペクトして過度にクズにしたり、倫理観がないような描写はするべきではないのでは、とも思うが、その「過度に」とか「倫理観がない」とかは個人の印象であるし、二次創作をする上であるのはあくまで「限りなく自分の解釈に近い描写」であっても、「正解」などないのだから、その観点で批判することはできない。
だからそんな創作を作らないでくれ、とは言えない。
だがどうしてこういう創作が作られるのか、どこへ向けることもできない怒りの中で考えたりする。
それで考えつくのは以下の理由。
- キャラクターは好きだが、それ以上に主人公が好きでキャラクターの瑕疵を断罪()させてすっきりしたい
- キャラクターのクズな姿が見たい
- いわゆる「嫌われ」系は流れが決まっているので書きやすい
- インパクトがあって目を引きやすく、書きやすい
最後のふたつは似たような感じだが。
しかしそれは私が好んでいないだけで、創作は個人の自由である。
二次創作をNOと言う権利は公式だけが持っていて、私は心の中で「好きじゃないなあ」と思って毒を溜めていくしかない。嫌ならば読まなければいいのだ。そういうことになっている。
作者の倫理観と自分の倫理観が異なると、けっこう辛い。でも誰に言うわけにもいかないのだ。
これが死ネタとか性転換モノとか分かりやすい表現ならば、基本的にタグやキャプションで説明されているので避けやすいのだが、上記のようなものは滅多に表記されない。作者が自覚せずに書いている場合もあるし、自覚していても「たいした表現ではない」として書かない場合もある。だから読んで自分に合うかどうか知るしかないのだ。
これって普通の生活でもよくあることのような気がする。
世間話やテレビなどで何気なく言われている自分と合わない考えは、一度ならば大したことはないのだけれど、積み重なれば溜まった毒に気持ち悪くなる。けれど一般的に蔓延しすぎて心の中で「それは違うんじゃないかなぁ」と思っても、下手に刺激したくないので言わない。もっと尖った意見ならば突っ込まれるだろうが、そんなことないので。
それによくよく考えれば私は昼ドラとか、前時代的な価値観を平気で言わせるドラマ・小説が好きではない。が、世間には結構それが好まれていたりする。
つまり主流に乗れていないのだろう。
自分の好みを見つけてくれるAIが開発されないかな……。