書綴日記

小説書いたり、徒然

作品と倫理観

小説を読むにあたって、作者と倫理観が合わない作品がある。
主人公やその他が、こちらの倫理観に合わないことをしているものだ。


例えば、主人公が大した理由なく相手を罰するとか、逆に大した理由なく罰せられるだとか、だ。


この「大した理由なく」というのが重要で、たぶん作者としてはそんなつもりがないのだと思う。
作中に確かに原因は書かれている。書かれているが、しかし読者(私)としてはそれに共感できない。
もっと掘り下げて描写をされれば納得いくかもしれないが、情報があまりに少なく、「ああ、これなら仕方がないな」と思うような描写がなく、結果、その行為が行き過ぎているように感じて気持ちが悪い。


適役が人を殺すにしても、それには理由があるだろう。
確かに「気に入らないから殺す」というキャラクターもいるかもしれないが、そのキャラクターはそういうことをするのだ、そしてそうなった場合の周囲の反応や、その世界でのあり方など充分な説明を行う。それによって読者はその世界に入り込め、そのキャラクターがそう振る舞うことに納得がいく。


けれど、そうでないならば、我に返ってしまい、なんだか気持ちが悪い、といびつさを感じる。


一番初めに「倫理観」と書いたけれど、なんだか少し違うような気がしてきた。
つまりは作者のバランス感覚なのだ。
いくらキャラクターが悪逆無道なことをしていても、そこに納得があれば問題ない。
だがそれが無いので読んでいてイライラとする。少しずつ腹に毒が溜まっていくような気がしてくる。


これが二次創作だと更に大変で、キャラクター解釈が合わない上にこれをされると、場合によってはヘイト創作のように感じる。
このキャラはこんなひどいことはしないのに、この世界ではそんなひどいことは起こらないのに。


結局は自分に合う、合わないの話でしかないのかもしれないけれど、最近某覇権二次創作の小説を読んでいて感じたこと。


これは私の個人的な考えなのだが、「素晴らしい物語は作者の顔が見えない」と思っている。


「作者の顔が見える」=「説明が足りずに読者が我に返る場所がある」
キャラクターの言動が無理矢理で、キャラクターの口を借りて作者の主張がされているような場所がそれだ。


結局は作者のバランス感覚だとは思うのだけれど、私自身も気をつけたい。