書綴日記

小説書いたり、徒然

ほとんど更新していないTwitterのアカウントを消した

だいぶすっきりとした。

 

今日、思い立ってほとんど更新していないTwitterの二次創作用のアカウントを削除した。

ひとつは交流が嫌になって去年から一言も呟いていないし、もうひとつは壁打ちでそもそもフォロワーがいなかった。

ジャンルから卒業(?)したわけではないので、少しの心苦しさも感じたが、結果、だいぶすっきりとしている。そのジャンルに関しては二次創作の情熱が下火になっていたし、もう一度くらいは更新したいと思っているが、今現在いつそれができるのかは不明だ。

 

もともと、自分の中にある燃え/萌えを出力する場所としてTwitterがあって、人間関係が煩わしいので壁打ちで、でもなにかのタイミングで誰かに見てもらえると嬉しいと思って鍵は掛けなかった。

が、この頃気づいたのだがそもそも私はあまり呟くのが得意ではない。呟いたら反応が気になるし、かといって重大なことを気づいたのであれば呟かずにネタにしたりしたい。結局、呟くのが面倒になる。

そういった性質のせいで、今もう一つある壁打ちアカウントは作品を上げるだけのものになってしまった。それは週イチくらいで更新しているのでまだ削除するつもりはないが、そのうち更新が間延びしてきたら削除しようと思っている。

 

はじめは壁打ちで燃え/萌えを吐き出しつつ、作品も上げていたのだけれど、作品しか上げなくなったらフォロワーからの反応も減った。だったらはじめから上げなくてもいいだろう、だって上げると無駄に結果が気になるし、という感じだ。

誰かに見てもらいたいのであれば支部だけで事足りるし、燃え/萌えの吐き出しは変にセーブがかからず反応もはじめから期待しないでおける鍵付きの自分オンリーのアカウントでやっておけばいい。

 

今まで鍵付きフォロワーゼロ壁打ちをやっているひとの話を聞いて、ストイックですごい、でも自分にはできないなぁ、と思っていたのだが、今は普通に自分でもできそうという心境にいる。

 

今まで「ある」からその状況が気になっていたが、今後ははじめから「ない」ので考えなくて済む。仕事でも義務でやっているわけでもないので、やはりストレスが少ない方がいい。もっと前からやっておけばよかった。

 

ただこれについては万人がそういうわけではないのだろうというのは察している。私はあまり他人と関わるのが得意ではない上、自分ひとりでも特にそこまでストレスを感じないからできるだけで、そうでないひともいるだろうから。まあそういうひとは、ただの壁打ちでもここまでストレスを感じないのかもしれないけれど。

 

断捨離というわけではないが、大したことではないくせにちらちらと思考の端で引っかかっていた事柄が消えたので、思考のリソースを今後はもう少し大きく使えると思うと清々しいような気分になる。

自分の性質をもっと前から知りたかった。でも今まで続けてこなければきっと気づきはしなかったのだろうから、順当なのだろうけど。

 

もしかしたら今後人恋しくてまたアカウントを作ることになるかもしれないが、少なくともしばらくはこのままでいようと思う。

 

おそらくターゲットではない乙女ゲームをやっていて思ったこと

題名のまま。

「これって、私はターゲット層ではないよなぁ」と思いつつソシャゲの乙女ゲーム(?)をやっている。

出会いはpixivでnot主人公で読んだクロスオーバーものが面白くて興味を持ったから。しばらくしてその小説は消えてしまったのだけれど、新しい刺激を探していた私は端末にインストールしてみたのだ。

 

で、やってみて、「合わないなぁ」と思いつつまだ続けている。

 

ざっくりとした概要は、

  • とある事情で主人公がイケメンたちと仕事をすることになる
  • 主人公は保護対象ではあるが、お荷物になりたくないと積極的に働く
  • 主人公の台詞などは選択できない(固定で自我がかなりある)
  • 素直・元気・善性・考えるよりも動く主人公
  • 仕事ができる一筋縄ではいかないイケメンたち

という感じ。

 

多分けっこう年齢が高い層に向けてなのだと思う。

いや、自分が若いというわけではないが。

 

で、どこらへんが自分に合わないのか。

 

まず主人公の台詞が選択式ではなく、かなりしっかりとした性格があるので、自分が好きな主人公の性格にカスタマイズできず、ただ単にノベルゲームを読んでいる感じ。

私は基本的に自分を持って、クレバーに物事を対処していく主人公が好きだ。そして相手とは対等か、あるいはむしろ主人公こそイケメンムーブをしてほしい。

 

が、このゲームではどちらかというと主人公は押され気味だ。いや主人公単体で見ればかなりハイスペックなのだが、周りのイケメンたちがそれ以上にスペックが高いのだ。で、主人公の性格が善性・素直なので、基本的に押されることになる。

やっていて「おめー、もっと穿った目で世の中を見ろよ」「どうやって育てられればそんなにいい子になるの?」「いや、いい感じにまとめているけど、正直今の君は勢いしかないからね?」というツッコミを入れてしまう。

クレバーさが足りない。大体の話が主人公の善性にほだされている。ちょっと頭の良いキャラに出会って思わせぶりなことを言われたり、煽られると主人公は深く考えたり怒ったりせずに「どういう意味だろう?」となって、でもガッツはあるので食らいついて最終的なんとなく登場人物たちが主人公の善性にほだされて終わる。主人公は彼らを尊敬する。

正直もっとストーリーというか、重苦しい心情を見たい。いい子ちゃんじゃなくて、心理的に殴り合って相互理解を深めてほしい。なんとなくでストーリーを進めないでほしい。

でも多分このゲームを遊ぶ層はこれくらい軽い読み物が好きなのだと思う。私、ターゲットじゃないわ~

 

次に気になるのは仕事について。

いや、主人公が社会人なので働く。しかも職場を主戦場にしてゲームのストーリーが進む。だから仕事の描写はされる。

が、この主人公は(そして職場の方々も)当然のように残業をするのだ。はぁ?

確かに現実でもこういう職場のひとたちは残業をよくしそうである。そしてブラックな事情としてたぶん残業代はしっかり出ない。でも崇高な職であるという自負を持って残業するのだ。

たぶんそれを生きがいにできるひともいる。だけど私は違う。仕事はあくまで仕事で、金を稼ぐためにやっているのであって仕事のために生きているわけではない。なので崇高な職と思って仕事をしているひとは尊敬はできるが、共感はできない。仕方がないことだが半ば主人公の視点で見ているので、「やりがい搾取」にしか見えない。

残業が当然みたいな描写をされると、奴隷の職場だ、逃げなきゃという気持ちになる。残業を受け入れるな。

 

そして次に気になるのは上司のキャラ。

いや正確言うと直属の上司ではなく、立場的に主人公より上の役職のひと。

このひとが仕事の説明をしないのだ。いや、するんだけれど詳しく話さない。あれだ、職人が見て学べ、と言っているようなやつ。深く話さずに自分で習得させようとする。で説明をもらっていない主人公が見当違いの方向に進みそうになると、「それじゃ駄目だよ」「もうやめれば?」とか言って軌道修正させる。

は?

確かに主人公がやっている仕事は特殊なもので前例なく言われずとも察する能力は必要かもしれない。が!仕事のサポートをして、なるべく消耗を少なく部下に仕事をさせるのが上司の仕事のなのでは?詳しい説明をしないのは怠慢なのでは??それはパワハラでは???

組織というものは特出した天才ひとりが回すのではなく、平均的な兵士の大多数がミス少なく回すものだ。これが新進気鋭の会社ならばともかくとして、主人公が働いているのは公務員的な公共のものなのだ。天才は不要。秀才は求められるが、それ以上に兵士が摩耗少なく働くことが重要だ。

なのに?意味深なことばかり言って??素直な主人公が説明が足りていないので分からないまま、でも精一杯仕事をしているのに(いくら一生懸命やったとしても成果がでなければ意味がないという意見は分かる。だがこの主人公はまだ畑違いの会社に入ったばかりで中堅のような仕事ぶりは端から期待できないのだからマインドも評価されるだろう)???要所要所で受けた報告で意味深なムーブをするだけして????見て学べ、自分で考えろ、それができないならばやめちまえ????

主人公がうまくできないの、おめーの説明がたりていないからですけど?????

自分もまあ普通に社会人をやっているので、こんな上司絶対イヤだな、と思いながらゲームを進めることになっている。いや、現実とゲームは違うじゃん、ってその通りなんだけれど、それはそれとして気になる部分は気になるんですよ。

 

というか書いていて思ったけれど、私は思わせぶりムーブが好きじゃないみたいだ。この上司、ドSらしいのだけれど私は意地悪されて喜ぶ人間ではなくイラつく人間なので煽られる度に大なり小なりムカついている。そして主人公は周りに振り回されているところを見るとSではなさそう。Mかと言われるとどうなんだ……という気もするけど。

でもこのドSの意味深人間、主人公の上司()なので逃げられない。

 

そしてこれは乙女ゲームなので、恋愛パートとかがある。

そして相手が職場の人間だと、職場でキスされたりする。ここで私が「きゃー!」とか言える性格だったら良かったのだが、残念ながら「職場では仕事しろよ……」と思う人間だった。

 

まあちょこちょこストーリー読んで進めていたのだけれど、この前のイベントで完全に合わないなと思った。

どうしてか。

忙しそうで大変そうにしている相手を労うためにあることを企画する、という話なのだけれど、それでなにをするかと思えばパーティーをするのだ。

それも自宅でやるようなこぢんまりとしたものではなく、専門のプランナーとかを巻き込んで本格的なパーティーをする。

パーティー?パーティー??パーティー???

そうか、彼らはパーティーで元気になるのか……。

私は基本的に休む時は自宅で自分の趣味の時間に費やしたい、ひとと会いたくないという人間なのでまったく分かり会えない人種であった。

はー……、パーティーか……。

 

そんなこんなでこのゲームと性格が合わないと思った。が、手持ち無沙汰の時にやってしまう。気になるキャラクターもいる。でもところどころ性格が合わない。

 

しかし……ひたすら合わない話しかしてないな……。ひどい。いやディスりたいわけではなく、自分はこういうところに引っかかっちゃうんだけど、みんなどんなふうにしてゲームしているのかと気になったというのがある。

この気持ちを誰かと分かり合いたい。

乙女ゲームとかあまりやったことがないのだけれど、こういうものなのだろうか?

作品と倫理観2

下で書いていた話と少し関連した話をしたくなったので。

下は作者としての話だったけれど、これは読者としての愚痴です。愚痴です。

https://toarumonokaki.hatenablog.com/entry/2021/01/06/%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%A8%E5%80%AB%E7%90%86%E8%A6%B3

 

以下、ただ単に創作スタンスへの愚痴なので合わないなと思った場合は読まないことを推奨します。

 

最近、二次創作を読む。それもいわゆる夢と言われるやつ。

といっても個人的には恋愛ものよりもそれにいかない程度のものが好きなので、そういうものを探そうとしている。

また、登場人物の心情を深堀りして、悩んだり諦めたり、手を伸ばしたりする心を刺すような話が好きなのでそういうものがあるととても嬉しい。

 

が、当然ことながら好みのものを探し出すのは困難である。砂漠の砂の中から一粒の砂金を探すようなもの、とまでは言わないけれど、自分の好み100%のものを見つけることは稀である。

もちろん読まないことには自分の好みに合っているか知ることはできないので、まずは読んでみたりする。

 

で、当然のごとく合わないものがある。その中で特に後から毒のように効いてくるものもある。いわゆる解釈違い、あるいは地雷(こういう言い方はどうなんだ…とは思うが)というやつだ。

それらを簡単に一言言うと以下だ。

  • キャラクターが主人公を理不尽に害する

これは殴ったり、暴言を吐いたり以外にも、いわゆるヤンデレ系の相手の人格を無視した行動も含む。ただ単に主人公がひどい目に合う話から、いわゆる「嫌われ系」で最終的に和解などをすることもある。

これは旬の二次創作を見ると体感で80%以上はこれな気がする。(自分が読んだ中でという話。結構長めの話(1話1万~のシリーズ)を好むので、そういうの)(ただ人気のものの中でこういうものが占める割合が高いだけかもしれないが)

 

私は読者として主人公の視点で読んでいるので、理不尽なことをされると怒りを覚える。そしてその怒りはキャラクターとそれを書いた作者へ向く。そしてそう描かれただけで原作ではそんなことをしていないキャラクターに怒りを覚えてしまったことに罪悪感を持つ。それが繰り返されると、悲しいことにそのキャラクターが嫌いになる。

 

なぜこういう創作が作られるのか。

二次創作をするならば原作をリスペクトして過度にクズにしたり、倫理観がないような描写はするべきではないのでは、とも思うが、その「過度に」とか「倫理観がない」とかは個人の印象であるし、二次創作をする上であるのはあくまで「限りなく自分の解釈に近い描写」であっても、「正解」などないのだから、その観点で批判することはできない。

 

だからそんな創作を作らないでくれ、とは言えない。

だがどうしてこういう創作が作られるのか、どこへ向けることもできない怒りの中で考えたりする。

 

それで考えつくのは以下の理由。

  • キャラクターは好きだが、それ以上に主人公が好きでキャラクターの瑕疵を断罪()させてすっきりしたい
  • キャラクターのクズな姿が見たい
  • いわゆる「嫌われ」系は流れが決まっているので書きやすい
  • インパクトがあって目を引きやすく、書きやすい

最後のふたつは似たような感じだが。

 

しかしそれは私が好んでいないだけで、創作は個人の自由である。

二次創作をNOと言う権利は公式だけが持っていて、私は心の中で「好きじゃないなあ」と思って毒を溜めていくしかない。嫌ならば読まなければいいのだ。そういうことになっている。

 

作者の倫理観と自分の倫理観が異なると、けっこう辛い。でも誰に言うわけにもいかないのだ。

これが死ネタとか性転換モノとか分かりやすい表現ならば、基本的にタグやキャプションで説明されているので避けやすいのだが、上記のようなものは滅多に表記されない。作者が自覚せずに書いている場合もあるし、自覚していても「たいした表現ではない」として書かない場合もある。だから読んで自分に合うかどうか知るしかないのだ。

 

これって普通の生活でもよくあることのような気がする。

世間話やテレビなどで何気なく言われている自分と合わない考えは、一度ならば大したことはないのだけれど、積み重なれば溜まった毒に気持ち悪くなる。けれど一般的に蔓延しすぎて心の中で「それは違うんじゃないかなぁ」と思っても、下手に刺激したくないので言わない。もっと尖った意見ならば突っ込まれるだろうが、そんなことないので。

 

それによくよく考えれば私は昼ドラとか、前時代的な価値観を平気で言わせるドラマ・小説が好きではない。が、世間には結構それが好まれていたりする。

つまり主流に乗れていないのだろう。

 

自分の好みを見つけてくれるAIが開発されないかな……。